【経歴】新卒教員を辞めてエンジニアになりました

投稿日:2021/11/02 最終更新日:2022/06/07

【経歴】新卒教員を辞めてエンジニアになりました

はじめに

この記事では管理人の経歴を紹介します。

新卒教員→エンジニア転職(独学)の経験はあまり聞いたことがないので、
もしかしたら参考になると思ってくれる人がいるのではないかと思い記事にしました。

大学卒業を間近に控えた方々やこれから教員になろうとしている方々、同じエンジニアに転職しようとしている方々にとって少しでも役に立てますと幸いです。

簡単に自己紹介

まずは、簡単にプロフィールを紹介します。

  • 年齢:26歳
  • 性別:男
  • 出身:日本(田舎)
  • 最終学歴:文系私大(偏差値:55~57)
  • 経歴:文系私大→高校教員(新卒,地歴公民)→WEB系エンジニア(今ココ)

上にある通り、私は今年の4月にWEB系エンジニア(コーダー)に転職をしました。

WEBエンジニアというとざっくりしすぎですが、主にWEBサイト制作や運用などを行うフロントエンド(少しバックエンド)の仕事をしています。

大学は歴史学科なので古墳巡りや文献ばかり見て満足感を感じていましたし、ホームページがどうやって表示されるのか全く知らなかった文系の自分が、現在エンジニアとして働いていることが信じられんなと思い、経歴を一度まとめてみようと思いこの記事を書きました。

新卒教員時代から現在に至るまでをまとめています。

教員時代

私は2018年3月に大学を卒業後、新卒で高等学校の教員になりました。

「なんで教員になったのか」とよく人に聞かれますが、正直よく分かりません。

もちろん面接や教育実習の時は「小学校の頃の〇〇先生にあこがれを持っていたからです」と答えていましたが、全然本音ではありませんでした。

昔から両親から「公務員はいいぞ」と言われ続けてきた影響だと思います。

私の中で将来の夢は特になかったし、公務員=教員というイメージが強かったので「教員になるかぁ」と中2の頃に軽い気持ちで選んだのが最初です。

かなり早い段階で自分の将来が適当に決まってので、今はもっとしっかり考えてればよかったと少し思っています。

この後悔の気持ちが現在では爆裂にプログラミングを勉強しまくっている原動力でもあります。

 

話を戻しますと、教員としては新卒から3年間働きましたが若手ながら学年主任や進路指導主事などの役職も経験することが出来ました。

こう書くと元から凄い能力があるかのように見えますが、そんなことは全くありません。

教員1年目の振り返りを簡単にまとめたのが以下の通りです。

  • 授業で生徒に居眠りされる
  • 模擬授業評価は同期で最悪
  • 業務スピードは遅い
  • 上司に5~10回/日くらい詰められる
  • 歳が若いから保護者にナメられる
  • ストレスで不眠気味になる
  • ストレスで顔の肌がボロボロになる
  • …etc

挙げだしたら他にもありますが、とにかく何をやっても上手くいかない1年目でした。

特に授業に関しては大学生の頃に塾講師をしたこともなく、大学の授業で少しやっただけで教員になってからだったので、話し方・進め方・板書の仕方といった基本的な部分が全然出来ていませんでした。

そのため、授業中に寝てしまう子や全く集中出来ていない子が結構いました。

 

正直、授業中に寝てしまう生徒がいるのは教員の責任です。

寝ている生徒は100%悪くないというわけではありませんが、90%は授業をしている教員の責任です。

大人でも中身の無い会議とかつまらない先輩の話を延々と聞いていると眠たくなります。私もめちゃくちゃ眠たくて全然話を聞いていないときはありましたし、普段は生徒に居眠りを注意している教員が会議で寝ていることもあったので話す側に問題があることは明白です。

と、まあ1年目こんな感じなので、全然凄くないことがよく伝わったと思います。

しかし、唯一優れている部分だと思っているのは負けず嫌いな性格なところです。

なぜが逆境に燃えてしまうタイプに知らない間になっていたようで、この状況を打ち破るために努力をしました。

例えば、「次は絶対居眠りをさせねぇ」と自分に誓いながら、基本となる板書の構成から話し方まで試行錯誤しながらみっちり研究し、1年目の終わりころには誰も居眠りをさせることなく、授業評価も高い水準まで上げることが出来ました。

高校生の頃は諦め癖があったのでいつ変わったのでしょうか、人は成長するものですね。

この時に研究したことや気づいたことなどは別の記事で紹介をします。

 

そして、2年目は担任業務に加え役職につくなど、少し責任のある仕事を任されるようになりました。

しかし、ここでも大きな壁に妨げられることがありました。

  • 保護者対応
  • 担任業務

保護者対応はざっくり言うとやばいくらいにしんどかったです。

こればっかりは経験すれば慣れてくるものですが、トラブルになった時は大変です。

些細なことでもクレームをするモンスターペアレントは大体自己中な発言をするので、話を聞く側は脳みそがひっくり返るような思いをします。

私も我が子を本気で心配して学校と相談をする保護者をモンペだとは思いませんが、
学校のルールを自分の都合でひっくり返そうとするのはモンペ以外の何者でもありません。

こういうメンタル的にも来る案件も頑張ってこなしましたが、時間を取られて他の業務は出来ずに山積みになり、クレーム解決のために他の職員と会議をすることが多いので残業続きの時期もありました。

なので、生徒に気を遣う以上に保護者には強く気を使っていたと思います。

週1ペースで頑張っていたこととかを保護者に話したり、定期的に面談をしたりと保護者から親切な対応をしていると思ってもらえるように行動したことで少しずつ信頼を得ることが出来ました。

この詳しい方法や対処なども別の記事でまとめてみたいと思います。

 

担任業務は正直楽しかった7割、しんどかった3割な感じです。

楽しかったことは生徒との関係性や成長を1年通して見ることが出来たことです。

1年あればどんな子がいて何を目標に頑張っているのか、何が趣味かなど色んなことがよく分かります。例えば、ゲームの全国大会に出た子や頑張って英語を話せるようになった子が印象的でした。

このような生徒は教員目線ではなく凄いなと思いましたし、時間が経ってさらに実力を伸ばしていく姿を見れたことが何よりも楽しかったです。

もちろん普通の高校生活を思い切り楽しんでいる子たちも凄く可愛らしかったです。

しんどかったことは教員(担任)として怒らなければいけない時や残業です。

教員は普通だったら気にも留めない些細なことでも校則違反や世間的によろしくないことであれば注意をしないといけません。特に担任であればより責任があります。

個人的には別にいいでしょと思っても、指導をしないと上司や保護者に何を言われるのか分からないので、しぶしぶ指導をしていました。

学校には今の時代にあっていない校則は実際にあります。

残業も最近は裁判になったり働き方改革が叫ばれるようになり、教育業界でも比較的休む時間は増えていると思いますが、サービス残業がほとんどです。中にはたまにですが1か月休みなしとかもありました。

私はそんな気合や根性論とかの昭和な慣習がこびりついている世界がダメだったので、今では若手教員の方々に頭が上がらないです。

ただ当時は、嘆いていてもつらい残業は減ることはないと思っていたので、朝一で1日のタスクをリストアップして業務の効率化を追究したことで残業を出来るだけ回避して評価を上げることが出来ました。

 

3年目は学年主任と進路指導主事的な仕事を任されました。

  • 学年主任
  • 進路指導主事

ぶっちゃけ「両方は出来ねえよ」と思っていましたが何とかなりました。

学年主任は学年で管理をするので3年生であれば進路、1年生であれば生活を中心に指導をしていきます。

私は2年生の主任だったので他の学年と比べて楽ではありました。

ただ、進路指導も兼務していていましたし、近頃は偏差値45~50くらいの大学人気が凄いことになっているので、大学合格率が例年に比べがっつり下がり、頭を抱えていました。

どんな泣き言を言っても合格させるための指導をしなければいけないので、AO入試であれば面接や小論文、一般入試であれば過去問の採点やフィードバックなど他にも色んな対策を取りました。 

全国の大学を片っぱしから調べて試験対策を練って面談の準備をしていたら、夜が明けることもしばしばでした。

それでも何とか全員の進路を確定させたので今思えばやって良かったと思います。

他にも、コロナ禍の1年だったのでオンラインを駆使しながら授業や面談をたくさんしました。

ざっくりと教員時代は挫折がたくさんありましたが、自分なりに努力して出来ることを増やして信頼を得ていった3年間だったと思います。

  • 授業はヘタクソ→生徒から高評価
  • 模擬授業評価は最悪→高評価
  • 業務スピードは遅い→残業を減らせるレベル
  • 上司に5~10回/日くらい詰められる→変わらず
  • 若いから保護者にナメられる→少しずつ信頼される
  • 保護者対応→少しずつ信頼される
  • クラス運営→メリハリのあるクラス運営
  • 学年主任→何とかなった
  • 進路指導主事→一番頑張ったし何とか結果出た

エンジニアになるまで

少し時期が遡りますが、私がエンジニアになろうと思ったのは教員2年目の終わりごろ(2020年1月)でした。

本当は4年くらい教員をしつつ勉強をしてから転職しようと思ったのですが、チャンスがあるなら早いに越したことはないなと思い、すぐに行動したので実際は3年で転職をしています。それまではエンジニアになる気持ちは無かったのですが、ある1つのきっかけで人生のレールが変わっていきました。

 

きっかけは教員2年目の頃に本屋に行った時のことです。

もともと本が好きで本屋はちょこちょこ行っていました。

たまたま休みの日で暇だったこともあり色んな本をちらほら物色していた時に、プログラミング本のコーナーに立ち寄りました。

元々、プログラミングたるものに興味はあり、なんとなくかっけえなと思ってはいましたが、本屋では今までスルーしてきたコーナーでした。

一回読んでみるかと思いたまたま手に取ったHTMLとCSSの本が僕の1年半を変えていきました。

その場でのめり込むように読み、気づいた時にはレジで並んでいる勢いだったのを覚えています。

他にもPython、Ruby、Javascript、PHP、WordPressなど今では仕事で使えるようになった言語も、当時はチンプンカンプンでしたが、この出来事以降は不思議と見るだけでワクワクしていました。

とりあえずHTMLとCSSがあればホームページは作れることを理解した私は帰宅して、本に書かれているコードをそのままエディターに書いていきました。

それから5日くらい消費して初めてホームページを表示させたときは何とも言えない達成感を感じました。

その後はいつかエンジニアになりたいなーと思いつつ、趣味として教員2年目の終わりころまで本の内容を丸暗記→書く作業を繰り返すという超非効率的な勉強をしながらホームページの作り方を勉強していました。

 

そして、半年くらい経ってからオリジナルのサイトを作ってみようと思い、いつものようにエディターを開いて作ろうとしたのですが、何から書けばいいのか分からず1日を終えてしまいました。

というのも、よく初心者にありがちだと思いますが内容をコピーするだけで勉強をしていた気になっていることがあります。

私も答えを見て写すだけの勉強をしていたので、自分の頭で組み立てて書く力が全く身に付いていなかったわけです。

これがかなり悔しくて、いつかエンジニアになれればと思っているだけでは無理だなと気づき始め、趣味を超えたレベルで本格的に勉強をスタートさせました。

エンジニアになるまでの内容を簡単にまとめます。

  • 独学
  • 丸暗記を辞める
  • アウトプット重視

 

私の勉強は全て独学です。

当時はお金がなかったのでオンラインスクールに通えませんでしたし、一緒にプログラミングを勉強する仲間も周囲にいませんでした。だからこそ、間違ったことをしないように勉強方法の記事やオンラインスクールで学べる内容を調べてそれに沿った本を買ったり、サブスクの動画学習サイト(ドットインストール)を利用して勉強したりと、とにかく方向性を確認しながら勉強を進めていました。

本もたくさん買うのではなく自分が学べる内容で頭に入りやすそうな本を厳選して買い、繰り返し読みながら基礎を反復していきました。そして、覚えた内容を実際にコーディングしながら感覚として覚えられるように取り組みました。

転職するために私がやった勉強の全ては以下のページでまとめています。

https://senseiengineer.com/%e3%82%a8%e3%83%b3%e3%82%b8%e3%83%8b%e3%82%a2/462/

 

あと、丸暗記を辞めました

これも初心者がやりがちなことですが、とにかく全部を覚えようとします。ただ、HTMLのタグや属性、CSSのセレクターだけでも山ほどあるのに完璧に覚えるのは時間の無駄です。今でこそ分かりますが、一番良いのは実際にホームページを作りながらやり方が分からないことを一つずつ調べて理解してことです。

これを繰り返しているとよく使うものと全然使わないものがはっきりしてくるので、そうなれれば素晴らしいです。

 

そして、アウトプット重視で勉強しました。

簡単に言えばインプットばかり、つまり本を繰り返し読んで覚えたり内容をコピーして書くだけでは実際のコーディング力はつかないということです。最初はめちゃくちゃなコードしか書けませんでしたが、とにかく軽く内容を抑えたらコーディングをしまくりました。この勉強法は今でもやってて良かったなと思っています。

このやり方も別の記事で紹介しますね。

 

この3つを意識して仕事を終えて21時くらいに帰宅していた私は1時か2時までずっと勉強する生活を1年間取り組みました。正直、キツかったし体力的にもメンタルにも限界を迎えて爆発しそうになったこともありましたが、とにかく歯を食いしばって続けたことで、半年を経過した辺りにHTMLとCSSでホームページを自力で作れるようになることが出来ました。

その後は、勉強をしながら10月辺りに転職活動をスタートさせ、未経験でエンジニアを採用している企業を受けていきました。

経歴が営業やIT関連企業に勤めていたわけでなく教員なのがディスアドバンテージな気がしており、多分これが原因で書類で落ちる企業が1社ありましたが、自分が身につけたコーディング力で作ったポートフォリオや教員として残した結果などを思い切りアピールしました。

 

結果、10月〜11月はWEB制作系の企業を2社受けて、不合格でした。

理由としては当時担任をしていたので生徒のことも考え基本的には3月まで辞めることを考えていませんでした。

なので、入社希望は4月と最初から伝えていましたが、最終面接まで進んだ企業も入社希望時期の不一致で不採用となりました。

当時は受かる気満々でいたので数日へこみましたが、これに関しては仕方のないことですし、運の要素もあると思うのでうまく切り替えをして、今度は4月採用を行っている時期に合わせようと思い年明けの1月以降に狙いを定めて転職活動を再度スタートしました。

そのため、12月は1月の転職活動に向けて準備をしていましたが、教員の仕事がかなり忙しかったこともあり、ほとんど休みの日(ほぼ日曜のみ)しか準備時間は取れていなかったと思います。本業の忙しさと不合格になって感じた不安と毎日戦っていたので、この頃はメンタルが壊れかける寸前の状態で過ごしていたと思います。それでも、今の自分を変えたい一心でポートフォリオ作りや面接対策をずっと行い、迫り来る転職活動のために備え続けていました。

 

そして、年が明けて1月を迎え、再び転職活動をスタートさせました。

面接に関しては前回の転職活動で良くなかった内容の対策をしていたことや、すでに面接を経験していたことで場慣れをしており、緊張することなく質問に答えることが出来たと思っています。

唯一不安だったのはポートフォリオやエンジニアとして採用してもらえるかどうかでしたが、完全な初心者から独学で勉強して技術を身に付けていったこと、プライベートの時間でもコードを書きたくて仕方ないほどやる気があること、今後もずっと学び続けたい気持ちがあることを強くアピールしていきました。

 

結果は、4社受けて3社内定(1社は日程が合わず途中辞退)を貰うことが出来ました。

正直、教員という仕事柄休みを取ることがなかなか難しかったですが、コロナ禍だったこともあり空きコマの時間に自宅に一度帰ってオンライン面接をしたりとドタバタした毎日を過ごしていました。

とにかくエンジニアになりたい一心で今まで勉強をしてきたので、内定を貰って入社が確定した時は本当に涙が出るほど嬉しかったです。

 

そして、現在入社したWEB系制作会社に入社をするに至ったというわけです。

まとめ

このように、晴れて私は教員を辞めてエンジニアに転職をしました。

ただ、教員という仕事が嫌だったというわけではありません。

正直、生徒と話していた時間や授業をしていた時間は本当に楽しかったですし、きつい仕事や厳しい上司がいたからこそ強いマインドセットを手に入れることが出来たと思っているので感謝しかないです。

それでも、あの時に勉強を始めて1年半努力をして、転職をしたということに全く後悔はありません。

それでもやっぱり仕事と勉強の毎日は本当にキツかったし、もうあの生活は出来ないなと思いますが、やってよかったと思っています。

 

この時に行っていた勉強方法や転職活動の仕方、転職して痛感したレベルの差、教員として得た知見をこれから教員になろうと思っている人や転職したいけど決意出来ない人、勉強の仕方や転職の仕方が分からない人、未経験だけどエンジニアになりたい人に向けて微力ながら力になれる情報を発信出来ればと思っています。

  • 教員になろうと思っている大学生や社会人
  • 転職したいけど決心できないorやり方が分からない人
  • 未経験だけどエンジニアになりたい人
  • 教育現場の実情を知りたい人
  • どんな勉強をしたのか知りたい人

上記に当てはまる方にとっては知りたい情報を伝えていきたいと思いますし、この記事を見てくれたあなたも私が出来たなら、あなたもきっと成し遂げられるはずなので、ご覧頂いている皆さんに向けてやる気と熱量とノウハウを提供出来たらいいなと思います。

 

以上、「【経歴】新卒教員を辞めてエンジニアになりました」でした。

ぜひ、他の記事たくさんご覧頂けると幸いです。


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